Frame of Reference

Last modified: Mon Apr 23 17:18:50 LMT 2007

過去のつぶやき,もしくは「昔はものを思はざりけり」

Nov. 14, 2007

勢いあまってIEEE Transaction on RoboticsのAssociate Editorを引き受けてしまいました.相当忙しそうなんだけど,ちゃんと勤まるんだろうか.第一,人の論文を読んでいる場合ではなくて,自分の論文を書かなきゃ.ああ,大丈夫だろうか.

ほんとに,死んじゃうほど忙しいのに,最近,Webにおけるプレゼンテーションに非常に興味を持ってきた.どうやったらトラフィックを集められるか.有名人でもない人間のwebにどのようにすれば興味を集めることができるか,少なくとも同じような興味を持つ人間を集めることができるか.根源的には,もちろんそのページの持つ情報量であるのだが,私が持っている知識を,どうやって情報としてうまく発信し,それを同じ興味を持つ人がたどり着ける構造にしなければならない.面白い問題だが,諸般の問題から,実験はここではなく,プライベートのページでやってみることにする.するつもりだが本当に時間が取れるのか?

May 8, 2007

家族がゴールデンウィーク中調子が悪く,結局ずっと自宅にいることに.自宅にいても何か作業ができればいいのだが,結局子守と家事に終始するのであった.もっとも,生きることの重大な目的の一つは子育てにあるのであり,その意味では充実したゴールデンウィークであったとも言えるのだが.

Apr. 28, 2007

とある書籍の書評を頼まれた.書評は存外難しい,昔は何も考えずにずばずば批評していたような覚えがあるが,自分が書物になるような文章を書き始めると,文章を組み立てていくかがどのくらい困難なことであるかが身にしみるので,手放しで批判などできないものだ.

今回書評を頼まれたのは,「知能」に関する教科書である.知能に関する書物を翻訳した乏しい経験から言わせてもらうとすると,本当に「知能」を定義することは難しい.いわんや,知能を客観的に捉え「科学」として位置づけるのはなんと難しいことだろうと思う.このような題目をつけて教科書を書くことは,私なら到底怖くてできないだろうな.

最近の私の考え.もっとも知能に関して議論することの難しい点は,知能とは主体を観測している観測者が,主体の振る舞いに対して割り当てる属性であり,この意味では観測者の主観から逃れることはできないというところにある.したがって科学が持つ「客観性」と「知能」の概念とは相容れないような気がしてならないのだ.

Apr. 23, 2007:

近年,すっかり忙しくなってしまい,webでくだらないコメントをつける暇がなかなかない.もっぱら他人のブログを読むだけの生活に成り下がってしまった.よく考えてみると,情報発信というは,その元になる情報に情報量がなければ意味がなく,つらつらと毎日,ただ考えたことだけを垂れ流すのは単なる罪悪に過ぎない気もする.

かたや一方で,他人のブログをつい面白がって読んでいるのは,そこにやはり情報量があるからなのであろうか?井戸端会議に何の情報があるのか,それとも人間としての本能に埋め込まれた「野次馬根性」なのだろうか.

少なくともいえるのは,昔このページを喜んで読んでくれていた人はもはや,チェックなどしているわけもなく,こうやって思ったことを垂れ流しても,とりあえずはトラフィックに何の影響も与えないということ.

Feb. 10, 2005:

某国際会議の作業が忙しい,工場見学の作業が忙しい,卒論・修論の追い込みだ,査読と原稿の〆切だ,

先週は,異分野研究者フォーラムなるものに出席してきた.卒論・修論前の忙しい時期だが,分野が異なる研究者と同一のテーマについて議論することのできる数少ない機会であり,都合をやりくりして出席した.議論は多岐にわたり興味深く,わざわざ参加した甲斐があった.

異分野の人は,もちろん自分とは異なったフレームで自分の世界を持っている人が多い.なまじ分野が近すぎないために,フレーム同士の矛盾が大きく出るよりは,異なった二つのフレーム間の座標変換を思考することができて,それはそれでさまざまな洞察に富む.しかし,それだけに直接的に研究にフィードバックされるかというと,これまた難しい.論文にかけない研究の根底に関与する重要な思想に触れたりもするのだが,論文の数や業績には直接的に反映されにくいため,重要性の割に成果の出ない,なんともジレンマの多い会合ではある.

そのせいか,JSTによるこの「異分野交流」,来年度からの新規テーマはないそうだ.なんて残念なこと.いろいろと偉い先生に伺ったのだが,この「異分野交流」はJSTの予算枠の中では比較的小ぶりで,それだけに,改革・改変時のターゲットにされやすいというのが原因ではないかということだ.その昔,炎の転x生(あえて伏字にするのはサーチエンジン対策です,あしからず)で,資料が一枚しか閉じられていないファイルを捨てるために,その資料の対象である主人公を抹殺しようという話があるのだが,こんなばかばかしい話が現実にあるとは思わなんだ.

Jan. 31, 2005:

このコラム,日記の形を取っているが,日々の生活についての話というよりは,その日にあった,考えたことに触発された何かを考察して書くことも多い.「日記の日」はその日にあったことをつらつら書いて,一通り文句を書いたらおしまいなのだが,ちょっと考え事をして書こうとすると,とたんに時間がかかる.web日記系を続けていくには反射的に書ける内容だけにしておかないと,考え込んだら更新が途絶えてしまうということになる難しさがある.昨日までの2日間の内容は,書きたいがデリケートな問題だったので書くまでに時間がかかってしまった.なんてことをつらつら考える日.

Jan. 28, 2005:

昨日の続き.試験を評価と読み替えれば,評価とは,あるべき姿を作り出すための枠組みであり,将来像無しの評価は,被評価者の評価に対するあるいはその逆の迎合の結果,迷走を生み出すか思わぬ方向に進んでしまうのである.評価はシステムのあるべき姿の裏返しで,評価のよしあしによってシステムが破綻するかどうかが決定されると言っても過言ではない. その意味で,評価者はシステムに対する責任を持つべきである(教授が授業内容に責任を持つように).システムに対する責任を負わずに評価するのはおかしい. 将来像無しの評価など無駄であるばかりか,害でしかない.

Jan. 27, 2005:

後期試験が近づいてきた.

小生が大学生だったころ,教養の授業で,学生の裏をかく問題を作ろう,作ろうとしている教授がいた.試験時間中に,それまで蓄えた知識を臨機応変に応用し,問題を解く力がどのくらいあるかを評価しようという意図だったのか,それとも学生との知恵比べで負けまいとしていただけなのか,あるいは自分の授業の単位取得確率をコントロールするためかはわからない.

大学の授業が何を伝えることを目的としているか,これはそう簡単な問題ではないと思う.その分野における知識を伝えることのみではなく,問題についてのアプローチの方法論についても,直接的に教えないにしてもその感触を伝えることも授業の大切な目的であろうし,またその授業を通して分野へのモチベーションを高めることもその一つであろう.

学部の授業の場合には,受講人数が多いこともあり,いきおい「知識を授ける」系の授業になりがちであるが,その場合には,試験は「その授業を終えた結果どのくらいの知識があるべきか」という尺度であり,たとえ例年同じような問題を出したとしても,それが最低限の知識と対応するのであれば,それを続けるべきだろう.その授業が「方法論」についてのものであれば,学生との知恵比べもよかろうと思う.しかしマスが相手の学部の授業となると,本当に自分がそのような「高級な」授業をしていたかどうかに,少し自信がなくなる.

ということは「知識を授ける」系の授業をしている場合には,過去問を収集し,それに対する試験対策によって,その授業の全容がわかるようなら,それは教員としては十分な知識を例年授けているということになるのではないか.つまり,よい授業をしているかどうかは,試験問題を見ればわかるのではないか.

Jan. 21, 2005:

コンピュータに導入するソフトについての雑感.最近はコンピュータがずいぶん手に入りやすくなり,大学教員としては文房具にほぼ等しい扱いと言っていい.日々進歩するし,持ち歩くことも多くなるのでどうしても故障やトラブルはつきものになる.勢いほぼ一年に一台くらいのペースで入れ替えということになるのだが,そうなると問題になるのはソフトである.

最近はソフトもよくできていて,デフォルトでは使いづらくてもカスタマイズすれば格段に機能が向上するものがけっこうある.しかし,こうしょっちゅうコンピュータを取り替えていると,いちいちコンピュータを取り替えるたびにカスタマイズすることにだんだんと疲れてくる.カスタマイズが.emacsで書けてしまうMeadowのようなソフトの場合の移行は簡単だが,Windowsのソフトの場合,カスタマイズはレジストリに書かれることが多いため,移行は一般的に面倒である.

結局,カスタマイズ移行が単純であるか,デフォルトがよくできたソフトを選択することになり,真の意味でのソフトウエア淘汰が行われるのである.あるいは,マス=大衆が使っているためやむを得ず使用するMicroSoft社製のそれのように,デフォルトがへぼくても,不可抗力的に体が慣れてしまう(ならさざるを得ない)場合もときにはあるが.「あなたに合わせて自在にカスタマイズ可能」は,文房具としてのコンピュータのニーズには合わない.

Jan. 20, 2005:

本年度は故あって,というか持ち回りで学科の3回生向けの工場見学の担当になっている.数社の人事と対応する必要があり,これが結構込み入っていて面倒.数社から非同期にやってくるメールは,非常に急いでいるものから,こちらがアクションしても全く返答のないものまでさまざまである.これが迷惑メールにはさまれてやってくるので,頭がパニックになりかけているところへ,これまたおおせつかっているある講演会のプログラム委員長として,打ち合わせのメールがこれまた矢継ぎ早に.プロセスできる許容範囲を超えてきました,はっきりいって.

Jan. 19, 2005:

年賀状の当選番号をチェックした.前から自分はくじ運が悪いと思っていたが,まさか160枚強の年賀状が全てはずれとは.なんかおかしいと思っていたら,自分が年賀状を出した友人から「3等が当たった,ありがとう」というメール.なんだか理不尽を感じるこのごろ.

Jan. 18, 2005:

1/12の日記でxmlよさげ,と書いてから,本当に使えるかどうかいろいろと試してみている.一番のボトルネックはExcelのファイルから自動的にxml形式に変換できるかどうかである.あるweb上の情報によると可能とのことなので,早速自分のコンピュータで試そうとした.が,xmlサポートはExcel 2003からでExcel 2002ではだめらしい.しょうがないので,別コンピュータでExcelを2002から2003にバージョンアップしてみた.ところが,データ→XMLというあるはずのメニューがない!いろいろやってみたがついに見つからず,かんしゃくを起こして断念.やはりマイクロリフト様に依存しようというのが間違いの元なのね.自前でawkで書こうっと.てか,誰か使い方知ってたら教えて.

Jan. 14, 2005:

岩波講座ロボット学2「ロボットモーション」を読む.読むと言っても,内容の80%以上は多分すでに知っているか,わかったつもりになっているところなので,どういう筋道で説明しているかを理解するだけ.キャッチコピーに,これまでのPaul風の説明から脱却,という感じの書き方がされていたので期待して読んだが,まあ想像の範囲内の記述だったかなという感じ.特に「開放系としての知能」の記述は,筆者らの意気込みは感じられるが,予備知識のない人がこれを読んで新たな知見を得ることは難しいんじゃないかと思った.従来のロボットモーションを知る人がこの記述を呼んだときに喚起される気分はわかるような気がする.開放系としての知能の説明は,やはり「知の創成」くらいのボリュームを費やさないとしきれないのだろうか.

細かい箇所での数学的記述について,特に姿勢の記述についていままであいまいに考えていたことがすっきりと書かれていた部分が数箇所あり,さすが中村・内山と思わせるところもあった.参考文献として,個人的にも購入しなければ.

ただ,私がここ数年個人的に考えている筋道からロボットの力学と制御を説明しようという枠組みとは違った.う〜ん,やっぱ自分で書くしかないのかな?教科書.

Jan. 12, 2005:

つくづくと研究について考える一日.何を示せば何を遺すことになるんだろうか.それとも単なる自己満足なんだろうか.悩んでみても何も残らないので,とりあえずちょっとだけ更新.とある雑用でxmlに首を突っ込んでみる.こりゃいいや,論文リストはxmlに書き換えてみようかしら.でもIEとMozillaしか見れないというのもなんだなあ.bibtexと連動してくれるものなら,速攻なんだけど.

Jan. 7, 2005:

岩波講座ロボット学1「ロボット学創成」を読む.ロボットもついに岩波の講座になってしまった,ということはずいぶんと枯れてきたんだろうという思いと,岩波の講座に載るくらいのことなら読む必要もあるまい,という気分でまだ読んでいなかったが,新年休みの空いた電車往復の片手間に読めそうだったので読んでみる.前半はおなじみの重鎮の執筆で内容も想像の範囲だったが,最後に瀬名氏がロボットについて自論を爆発させており,これが想像していなかった読後感をもたらした.

まず思ったのは,もちろん前半と後半のあまりの違和感である.前半はむしろ淡々と,筆者たちはロボットに関する客観的に近い事実を,よしんば自分の研究であるにせよ客観的なふりをして(あるいは遠慮がちに,だが自分の仕事とさり気に主張しながら)述べているのだが,瀬名氏の執筆した部分は過去の哲学やSFでの記述を基に,かなり主観的な主張を声高に述べている感じがする.この部分がさまざまな思索的な示唆に富んでおり,非常に興味深い読み物として楽しませてもらったのであるが,それと同時に読み終わったあとに「ええと,これ岩波講座だよね」と違和感を感じた.重鎮たちの仕事を私が知っているせいもあるだろうが,本としての内容はほとんどが後半に集約されており,バランスがよろしくない.

瀬名氏の記述は,Frame of Referenceを標榜するこのページの作者としては大いに共感することが多く,自らのセンサでしか世の中を捉えられない主体としての自分を改めて認識した.とはいえ瀬名氏の,日本語を使っている日本人こそが,ロボットを社会の中に取り入れ,ロボット学を進めることのできる優位性を持つという点については,心情的には賛成を唱えたい反面,これもまたFrame of Referenceであるかと考えてしまったのであった.瀬名氏は「身」という概念がロボットを考える上で重要であり,このような概念は他の言語にはない,というような書き方をしているが,たぶん立場を変えれば西洋的な言葉の中にも,日本人であるわれわれが理解しがたいような,類似の表現を見つけることができるのではないかと感じてしまったのである.

二巻はこれまで広く流布してきたPaul風の説明ではないロボットの運動学,機構学,動力学の説明がされているらしいので,これまた期待して読んでみよう.仕事が忙しくなる前に.

Jan. 6, 2005:

最近,ラガーノレカードが方々で使えるようになり,バスの料金もこれではらえるようになって来たのはまことに便利なのではありますが,昨日,帰宅時にいつものように近鉄バスに乗り,降車時にまちがって近鉄バスの回数券ではなくラガーノレカードを入れてしまったときに,しっかりと定額取られてしまったのは痛かった.受け付けないでくれればよかったのに〜,と悔やんでも後の祭り.そのあと,阪急電車に乗るとき,そのことが気になって気になって,間違えて自動改札にテレホンカードを入れてしまいましたとさ.もちろん今度は,自動改札にこっぴどく「係員を呼んでください」と怒られました.

そういえば,JRのイコカも定期の更新をどわすれして,うっかり定期の期間外に改札を通してしまうと,いつもと違う「ピピッ」という音とともに,プリペイド分が使われてしまうのも一種のわなではある.ぼっとしてると,いつの間にかプリペイド分を使い果たしてしまい,そこで始めて定期の期限が切れていることに気がつくわけだわな.もちろん改札機に「有効期限××日」とは出ているんだけど,朝のラッシュ時なんか見ないし.う〜ん,今日は「20円返して〜」小市民のたわごとです.

Jan. 4, 2005:

明けましておめでとうございます.とはいってもこのページも一年近く更新にしていないので,もう誰も見ていないでしょうね.細々と書き綴っていると読者が集まってくるけど本人にはわからない(カウンタをつければいいのかもしれませんが)というのは,web日記系のちょっとアレなところです.

内輪ねたを早速一つ.お年玉をいくつから子供に与えるべきか,という議論を昼食時にしたのですが,どうなんでしょう.私としては,お金の価値がわかってからでよいと思うので,そのこが親からお小遣いをもらっているかどうかが切れ目のような気がしますね.うちの4歳になる娘が,今年もらったお年玉を,毎年のように私が預かろうとすると「自分が持つ!」と主張したので,そろそろ彼女の自分専用口座を作ろうかと考える今日この頃です.お小遣いどころかお金が何たるかもわかってないとは思うんですが.

Jul. 5, 2004:

最近とみにSPAMが増えてきたので,いまさらながらホームページからめアドをとる作業をしました.あ〜.面倒な世の中だ.

Apr. 27, 2004:

フレ〜ム,オ〜ブ,リファレ〜ンス.ご自分のリファレンスでお読みください.

私が博士課程の学生のころはまっていたゲームのお話.自分は大魔法使いになって,モンスターを召還しつつ,クエストをクリアしていくよくあるゲームなんですが,同じモンスターでもクエストが進んでいくとレベルの高いものをいきなり召還することができるようになります.それ以前に召還したモンスターを育てても,それと同じレベルのモンスターをあとで召還できたりするわけです.それならちまちま育てるより,あとで召還すればいいや,と思ったんですが,あとで召還したモンスターは育てた奴より維持するのにMPを食っちまうんですね.MPが足りなくなると裏切られるわけです.だから,ゲームの話だってば.

Apr. 13, 2004:

今年は長い桜でしたが,皆さん楽しまれたでしょうか?先週の金曜日が娘の入園式だったのですが,幸い桜が残っていて,なんだかとてもうれしかったです.

こうやって細々と文章を書いていても,どこからともなく皆さん見つけて見に来てくださっているようですが,最近「更新してないね」というコメントをいただくたびに,みられているんだから変なことかけないなあ,というプレシャーがかかります. 当初はもちろん,そんなことは考えずに(このあたりがwebの創発性なんだろうけど)ただ反射的に自分の考えたことを書いていたのですが,やはりなんといっても「公開」されているログだけに読者を想定するべきですね.某学生のウェブログに「○○ラーメン」という固有名詞を書いたところ,それを検索したエンジンから飛んできた人のアクセスが増えたそうですが,下手な固有名詞を書かないほうが,平穏にすごせるのかも,と思う今日この頃です.そうか,だから2ちゃん用語なんだ,と感心することしきり.

Apr. 12, 2004:

「分類」が好きなのは理系の証拠なのだろうか?

ある集合を眺めていると,その分類をしたがるのはヒトの常なのか,さまざまな集合に対する分類が世の中には蔓延している.私もご多分に漏れずその中の一人なのだが,どうも性分のせいか,他人の分類が気に食わないことが多々ある.そういうとき,もちろん自分なりの分類をして,自分なりのラベルを貼ってしまうのだが,そもそも分類たるもの,分類をすることによって何か新しいものが見えてくるようでないと分類すること自体に意味がないということに,はたと気がついたのであった.

Apr. 8, 2004:

以前に書いた「二大政党」に関するフォローアップになるかもしれないが,古今と個話題になっている年金改革で民社党が対案を出す(した).これは,私ごとき素人が指摘するまでもないが二大政党になって評価されるべき事項だと思う.二項対立(必ずしも対立でなくてもよいが)の中から新たな案を創出するということが,よりよい制度改革にはあるべき姿だと思う.ただ心配は,これらの案に対する評価が,当面の「国民のウケ」を狙わない,本当に長期的に見て準最適であることになるかどうかである. 「国民のウケ」を狙った制度にすることによって,間近に迫った選挙の人気取りをするのはよくあるパターンだが,国民は「衆愚」であることを忘れてはならないと思う.政治家は長期のビジョンを持つ人間で構成されるべきであり,衆愚の短期的利得に左右されるべきではない.考えれば考えるほど心配であるが,衆愚の一員たる私にはそのような長期的ビジョンを持つのは難しい.

Apr. 1, 2004:

いよいよ今日から大学も独立行政法人です.今のところ激変はしていませんが,とりあえず身の回りで起こっていることは,どうやら身分が「教官」から「教員」という呼び名になることと,住んでいる宿舎が京都大学の持ち物になるので,名称が変わって家賃が上がるということぐらいです.これから徐々に大きな変化がやってくるのでしょうが,とりあえずは平穏なエイプリルフールだったりします.

Dev. 9, 2003:

最近,通勤途中の道路を掘り起こしている.えらいでかい土管を埋めているので,電線の埋設かと思ったら下水管のようで,密閉性の高そうな管の構造に見える. 現在,日本の電線や電話線はほとんどが架線で,埋設するためにはどんなに地面を掘り返さなければならないかを考えると,気が遠くなる.そのたびにこんな通行止め?

Nov. 18, 2003:

隔月更新の日記に成り下がってしまった今日この頃,諸兄に置かれましてはいかがお過ごしでしょうか?いやはや,やはり子供が二人というのは何かと忙しいもので,懸案事項がたまる,たまる.何とかしたいとは思うのですが,日記も出張の新幹線内で,久しぶりに更新する始末.

忙しいのにあえて日記をつけているのには,ちょっと理由がある.先日の衆議院選挙.自民党は結局,保守党と合体することにより安定多数を確保,一方で民主党は大幅に議席を伸ばして,「二大政党時代」の到来となったわけだ.で,日曜日の朝のニュース番組とかを見ると「どっちが勝ったか」という議論を各党の人たちが集まる座談会形式でやっている.私はいいたい「お前らは馬鹿か」と.勝った負けたという議論ではなかろう.

今回の選挙は「マニフェスト選挙」といわれているが,当選した議員たちは引き続きマニフェストに基づいて,国会で議論を進めてもらわないと困る.そのときに地方でいろいろな約束をした人は,たとえそれが党の全体意思に反しても進めてもらわないと約束違反だ.結局,選ばれた人たちは,党という枠組みを超えて,マニフェストの各論としてちゃんと議論をするべきで,党として勝ったか負けたかを議論している場合ではないと思う.

そもそも,現在の日本の民主制では,政策を選ぶのではなく,政党を選ぶということを投票する人たちはしっかりと認識すべきだと思う.ある議員が進めているある政策には賛成でも,それ以外については賛成できかねる,ということがあっても,それが反映された結果にはなりにくい.選挙戦でもどこに争点を置くかによってある議員が通ったり落ちたりするのはそのせいだ.もちろん政策は,ある特定の政策のみを取り出して議論はできない.他の政策との整合性がすごくものをいうので,断片的議論もできないのではあるが,投票する方もまた馬鹿なので,断片的議論を基に投票をするという,全く妙なことが起きている.結果的に政党に「勝った,負けた」という議論をさせることになってしまうわけだ.つまり党としてどの断片的議論を切り出してきたから,戦略的に勝利した,という図式になるわけ.

結論は,投票する人たちはもっと勉強するべきだ,と思う.選挙結果に納得するためにも.二大政党制を歓迎する声(メディア)についても一言いいたいが,今日はここまで.

Sep. 9, 2003:

育児に引っ張られて更新がほとんど止まっております.っていっても見てる人なんていないかね.この間,JR嵯峨野線で通勤中,混雑した車内でやなおやじにあった.混雑しているにもかかわらず自分は扉付近に止まっておりそれ以上奥にいけないので,しかたがなくそのおやじの隣に立ったのだが,車内が混雑してきて,押されてそのおやじに不本意ながら密着することになった.と,そのおやじ「なにひっついてきとんねん」 なんやと〜!ぶち切れて「お前がおくにつめんからこういうことになるんやないか!ぼけ,押されてんねんからしょうがないやろ」と怒鳴って,強引におくに割り込んで,今度はおやじの内側に立ってやった.今度はおやじが押されて私の方によってくるが,さすがに踏ん張ってがまんしとる.「寄ってくんなよ」とばかりにじろじろ睨みつけてやった.ざまみろ.それにしても文句言う奴ばっかり増えてやな世の中になったと思わない?「他人のフレームでものを見られなくなってしまった奴ばかり」

Aug. 29, 2003:

最近,下の子が「リーチング」をはじめた.ぬいぐるみを目の前に置くと手を盛んに動かし,何とかぬいぐるみを動かそうとしているように見える.ぬいぐるみが射程距離に入ると,口を使って確認をするという遊び?をする.面白がって何度もやっていたら,いらいらしたらしく激しく泣き喚いた.ごめんごめん.

Aug. 5, 2003:

各方面には連絡済ですが,二人目が生まれました.各方面ってどこよ?二人目ということで,若干余裕ができているのか,新生児模倣の実験などもやってしまいました.「新生児模倣なんてしない」というのが私の持論だったのですが,やってみたらそれっぽいことをしたので,かなりのショック.希望者にはビデオをお見せいたします.

July. 14, 2003:

海外出張でドイツ・スイスへ行ってきました.特にスイスのチューリッヒ大学は,私がいたときの建物から引越しをして新しい建物に移動していたので,なんだか少し寂しい気も.もっとも,元住んでいたところに近くなったので,研究室の周りの地理には妙に明るかったり.

Jun. 30, 2003:

週末に電器屋の店頭で体脂肪計で測定してみた.「隠れ肥満」だそうな.歩くのは効かないのか?私の理屈では「体はバランスをとるはず」なので,部分やせというのは不自然な状態で,一部がエネルギを消費すれば,からだ全体としてバランスをとるようにエネルギ配分をするのが最終的な姿だと思うのではあるが.実際歩くという運動は,手を振る以外は下半身しか使わないが,顔やおなかの脂肪が明らかに減っている.内臓脂肪はなかなか取れないというが,根気よくこういう運動を続けていれば減るんだろうか?

Jun. 19, 2003:

2月の中旬にJR茨木から大学まで歩いてくることをはじめてから,なんとなくそれが続いて,まだいまだに歩いて通っている.それに伴って体重がなんと5Kgも減った. これまでは1,2週間の単位で歩くことはあったが,4ヶ月も歩き続けるとこんなに体重に響いてくるとはびっくり.歩いてくると,もちろんバスよりは時間がかかるが,歩いてくる間にいろいろなアイディアが浮かんだりして結構よい. しかし4ヶ月目に入っても,やっぱり歩き始めるときには「さあ行かなきゃ」と思うということは,体力的には変わってないんだろうか?まあ,個人的には体重が減らなくても体脂肪とコレステロールがおちればいいんだけど.

Apr. 30, 2003:

昨日,休日を利用して愛宕山に子供をつれて登ってきた.嫁さんによると,愛宕山といえば3歳までに登れば火事に合わないといのは京都の常識らしい.で,何とか3歳になるまでに登っておこうと思っていたのだが,花粉症が収まって暑くなる前ということで,ゴールデンウィークしかないわけ.ところが既に子供の体重は13Kg,しかも山登りなんてほとんど無理.13Kgの巨体をだっこ紐で抱えて,登り3時間半,下り2時間,休憩を含めて6時間の耐久登山であった.今日は筋肉痛で死にそう.

「Last Updateを削除してみました」と書いたのですが,やっぱり不満なので,html-helper-modeを30分ハックして自前のLast Update更新のためのスクリプトを書いてみました.思ったより簡単だったのでラッキー.

Apr. 25, 2003:

これまで,html文書を作るのに,html-helper-modeを使って書いていたが,思うところあって,yahtmlに変えてみた.YaTeXをこれまで使っていたので,ちょっとしたら慣れるとは思うのだが,一番不満なのは,Last updateが更新されなくなってしまったこと.あまり情報がないといえばそれまでなのだが.というわけでLast Updateを削除してみました.

Apr. 16, 2003:

外界センサと内界センサの違いについて考える.

Apr. 15, 2003:

給与明細が来た.世間では公務員は不景気とは関係ないと思われているか もしれないが,どっこい,昨年よりも棒給クラスはあがっているのに,昨年 の四月にもらっていた給料よりも少ないことが判明.リストラされたり,倒産 するよりは全然ましだとはいえ,ちょっとショック.

Apr. 8, 2003:

昨年10月に,IA02(International Symposium for Young Researchers on Modeling and their Applications)というシンポジウ ムの講演を依頼され,モデリングに関する自説を述べる講演をさせていただい た.このことは過去の日記にも書いたが,シンポジウム全体の雰囲気は,「モ デリング」というあいまいなワードにくくられてどちらかというととりとめの ないものであった.結構時間をかけて講演の用意をしたのだが,発表時間がほ とんど守られておらず,私も別の予算関係の大事な会合がその後に控えていた ために,尻切れトンボというか,あまり後味のよい講演ではなかった.

しかし,これがなんの役に立つかわからないものだ.その講演を聴いて, OUSSEP(Osaka University Short-term Student Exchange Program)の学生が研究室で短期プログラムを過ごしたいとやってきた. どんな形で返ってくるかわからないもんですね.

Apr. 1, 2003:

世間には,気の聞いたエイプリルフールジョークを書く人もいるが,私に はどうやらその才はないらしい.世の中をだますほうとだまされる方に分ける としたら,ぜったいだまされるほうだな.

昨日の講演を反芻していて,研究者の傾向に考えが及んだ.研究者は若い ときにはひたすら狭い領域の研究を,どちらかというと知識の詰め込みタイプ を重視して進めていく.で,だんだん年をとると,別の分野の別の問題にも, すでに持っている知識を当てはめることによって類推する能力が増すのではな いか(というかそういう経験をつむのが研究なんだろうと思う).つまり年齢に 応じて,知識コピー型から補間・外挿・読み替え型へと変遷する傾向があるの ではないかと思う.

何でこんな話になったかというと,先日とある研究会で元気な博士課程の 学生さんの発表を聞く機会があり,その分野は私にとってはちょっと畑違いだっ たのだが,自分の知識の中で類推して問題点を洗い出して質問してみたところ, やはりその分野でも同様の問題があって,その学生さんが「さすがですね〜」 などと言っているのを聞いて,自分も過去にそう思ったことがあることを思い 出したんですわ.

これが仮に大部分の人に当てはまるとしたら(というか当てはまると思うの で),教官は後者の傾向を取りがちになり,したがってPBLが非常に大事である と思うバイアスがかかってしまうのではないだろうか?もともと自分が知識詰 め込み型であった時代のことを忘れがちなのかも?

どんどん話がそれるが,私が若い頃(もう若くないような書き方はちょっと やだけど),研究会で自分の研究と方針を発表したところ,年寄りの偉い先生 が「そんな研究はもうやられているよ」と言ったのを思い出す.その後調べて みたところ,それに該当する研究は存在しなかったのだが,その教授は類推で 推測を重ねてそういう結論に達したのではなかろうか.お年を召して経験豊か な人の中には類推から先を見てしまう人が,きっといるだろうが,わかったよ うな気になってもわかってない問題が存在する可能性を否定してはならないと 思う.

Mar. 31, 2003:

Twente大学のKommers教授の工学教育に関する講演を聴く. 内容は,まあ同意できるが一般的な話で,どのような教育をすればよいかとい う方法論を期待して聴きに行ったので,いささか拍子抜け.というか,冷静に 考えれば,そんな簡単な方法論なんてないはずなんだけどね. 教授が繰り返し言っていたのは,「教育とは知識を教えることではなく, 知識を得る方法を考える力を養うこと」知識を与えるタイプの講義をすると, 学生は知識のコピーに特化し,得点を取る手法に長けてしまう.これでは,教 える側の知識コピーができるだけで,いわゆる優等生を育てるだけになってし まう,というのがどうやら論点らしい.

もちろん教授が主張しているような問題解決能力の養成が教育の重要なポ イントであるという点には激しく同意できるが,とはいえ,その問題解決能力 はやはり,知識のベースがなければ有効に機能しないとも思う.要はバランス の問題で,現状の教育では知識を与えることに重点が置かれすぎているので, 問題解決能力とのバランスをとる必要はあると思う.その点で阪大の幾人か の先生が推し進めているPBL教育は,これまで比較的不足していたことを補う という意味で賛成するが,PBLをすればすべてうまくいくという気にはなれな い.やっぱりバランスでしょう.で,どのくらいのバランスがよいかは個人の 能力で決まるので,どうやったってトップダウン的にやったら,どこかで歪が 出ることなるんだろうと思う.

Mar. 8, 2003

各方面から,いろいろと励ましをいただいたCO2ボンベの輸入だが,結局な んとか期日に間に合い,無事に学会でのデモを行うことができた.皆様ありが とうございます.おかげで,私がデルフトで見たすばらしいロボットのデモを 日本でも皆さんに見ていただくことができました.あのロボットは私の理想系 のひとつ,つまり,「どこにでも持っていって,いつでもデモできるロボット」 なのですよ.これは,チープな設計とチープな制御系のなせる業なのです,す ばらしい.近いうちにあんなロボットを作ってみたいものです. チープとは単に安いというだけではありません.チープな設計と制御について は拙訳「知の創成」を参照してください.

チープデザインといえば,スタンフォードとUCBの間で共同で研究が進んで いる6脚ロボットSPRAWLもすばらしかった. 例のボンベで二台のロボットが同時に動いているさまは,見ていて不思議な光 景だった.誰かが「デモで動いているロボットを見ると,本質的なものを忘れ て,とにかく『すごい』と思ってしまうので,発表の時にはしょぼいマテリア ルを使う」という話をしていたが,私は違うと思う.ホンダやソニーのように 馬力ですごいものを作ってしまうのではなく,チープなデザイ ンでもってすばらしいロボットを実現することは,やっぱり見せること (魅せること)につながらないと,意味がないのではないか?

アクセスカウンタがないのでわかりませんが,学会のサイトからリンクまで張っていただいたので,ひょっとするとアクセスが増えたかも? でも誰が見ているかわからない確率も増えたので,あえてしばらくの間,ペー ジを更新するのをやめてみました.と誰に向かって言っているのか,わからないことを言ってみるテスト.

Feb. 26, 2003

「連絡は取っておいたのであとは待てばよい」という戦略から「基本的に 相手は仕事をしないので,絶えず状況を確認する」という戦略に切り替えた結 果,府庁と業者の動きを完全に捉えることに成功,月曜日には許可証を発行, 今日にも阪大に向けて発送の運びとなった.万歳.

朝,茨木駅から歩いてくると,いろいろなことを考える.今日は指導教官 について.最近は修士,博士課程,あるいはポスドク,助手任用の切れ目で, そのときどきのトップが替わるとはいえ,やはりその影響はぬぐいがたい.将 来どのような研究者,あるいは教育者になるかは,やはり最初の指導教官の影 響(プラスであれマイナスであれ)が大きいと感じる今日この頃.

Feb. 20, 2003

オーストリアから返答のメールがあり,結果を府庁にファックス.何の返 事もないので,電話してみると「担当者は今日は留守」だそうです.どうやら 府庁も「申し送り」という単語を知らないらしい.こちとら急いで動き回って いるのに間に合わなかったらどうしてくれよう.

最近怒ってばかりなので,ちょっと今朝,歩きながら思ったことなど.思 うに,人間がもっとも快感を感じる瞬間とは「出した」ときではないかと.出 すものにもいろいろあるけれど,「出して」しまえば,出したものは行ってし まうというか,ある意味での責任がなくなるというか(もちろん出したものに 責任はあるけど),手の内で修正が効かなくなる=修正の義務もある意味で放 棄する,というか.お金でさえ,払ってしまった瞬間にはある種の心地よさを 感じるのは私だけだろうか.後で後悔することもあるけど.

Feb. 19, 2003: 二酸化炭素ボンベだけは何があっても二度と輸入しないと心に誓った日

二酸化炭素ボンベの件,昨日立会い検査があったはずなのに,16時を過ぎ ても業者からも府からも何の連絡もない.おかしな話だ.まずは業者に電話. 「今日はお休みをいただいています」だと〜!申し送って連絡してこんかい (ぶち切れ)「誰かどうなったかわかる人はおられますか」「少々お待ちくださ い」「何か容器番号について不備な点があったらしいのですが,府の方から連 絡をされるそうです」もちろん,この時点で府からは何の連絡もない.「わか りました,府に連絡してみます」でお役所に連絡.「業者の方から連絡が行っ たと思いますが」なんだと〜!誰じゃ,仕事しとらんのは! 「容器にXXX-XXという番号が入っていたのですが,これが容器番号でしょう か?先方に問い合わせてください」これまたしょうもないが,これがわからな いと通らないのであればしょうがない,オーストリアにメール.が今日の顛末.

もういや!誰か何とかして!

Feb. 18, 2003

例の二酸化炭素ボンベの検査,今日関空で代行業者立会いの上行われるら しい.願わくば無事に通ってくれることを祈る.

とある学会の〆切が予定通り伸びた.最近特に気になるのは,ロ ボット関係の学会の多いことだが,学会の期日や〆切が近いものがごろごろし ているので,こうやって〆切を延ばして講演数を何とか確保しようとしている のだ.感心せんな.

3rd IEEE International Conference on Humanoid Robots (Humanoids 2003):2/15→3/28

Feb. 14, 2002

始まりはたわいないやり取りだった.昨年オランダのデルフト大学を見学 させてもらったときに,先方のW氏が「来年4月(2003年の4月のこと)に京 都であるシンポジウムで圧縮二酸化炭素を駆動力に使ったロボットのデモをし たいので,ついてはボンベを受け取ってくれないか?」「ああ,か まわんよ,私のところにおくってもらっても」

2月7日,関西空港から一本の電話があった.「お宅様宛に二酸化炭素ボン ベが60本届いています.手続きが必要ですが,いかがしましょうか」「えっ? 何の手続きですか?」「高圧ガスの輸入には手続きが必要なんです」「(知ら んかった)現場に立ち会って引き取ればよいのですか?(それなら代行業者に 頼めばすむじゃん,よかった)」「手続きは府庁の安全管理課でしていただく 必要があります」げげ.

安全管理課に電話をかける.「高圧ガスの輸入をしたいのですが,どのよ うな手続きが必要ですか?」「ファックスをお送りしますので,所定の書類を そろえて手渡しで提出してください」この辺りから,めんどうなこ とになっちまったとかなり後悔する.送ってきたファックスは所定の用紙が二 枚,それに添付書類を4枚,輸入元から取り寄せなければならない.早速オラ ンダのW氏にメールを送り,輸入元となったオーストリアの業者から至急,必 要書類を送ってもらうように手配する.

翌月曜日,ファックスで送ってもらった書類を元に,所定の書類の空欄を 埋めていく.日本語での表記と英語の表記の違いに四苦八苦し,なれない圧力 系の専門用語と格闘しながら何とか埋める.しかしどうも不足なデータがある ようだ.府庁安全管理課にとりあえず埋めた文書をファックスしてチェックし てもらう.やはり不足データがある.おまけに「引き取り先が大阪大学になり ますので,大学の長である総長の印鑑が必要です」ときた.大学の事情を知っ ている人にはすぐわかるが,このようなケースで総長の印鑑などまず無理. 「大学では,各部局ごとに運用されているので,何とか工学部長の名前でだめ ですか」「では委任状を取ってください」うげ〜,なんてこった.

今度は大学事務との格闘が始まる.「かくかくしかじかで,工学部長の印 鑑と委任状をいただけますか?」「とりあえず書類をお持ちください」という ので,未完のままの書類を持っていく.「書類が完成した時点で審査させてい ただき,工学部長の印鑑を押します」ロープレ状態だぞ,これは.「銀の鍵を 授かるためには,まず北の山の洞窟で巻物を取って西の賢者に会いに行き...」

まずは再びオーストリアの業者に連絡,不足分のデータとそれを証明する 書類を送ってもらう,これで一日.時差がもどかしい.やってきたデータを埋 め,さらに代行業者と関西空港に電話連絡して,連絡先や保管場所(保管して ある倉庫の名前まで必要なのだ!)を教えてもらい,書類を完成させる.送っ てもらった書類を新たな添付書類として,大学事務へと持っていく.「ではこ れを審査して,工学部長の印を押します.しばらくお待ちください」

二日ほどして「書類ができましたのでお送りします」と事務.やっとのこ とで提出書類が完成したのが,今日2/14である.手渡しで 大阪府庁に届けなければいけない.しゃあない,行くかと天満橋の大阪府庁へ. 府庁の中に入るのは初めてだったが昭和という感じの建物, こんな建物で働いていたら気がめいるかもね.昔の京大の時計台下の事務を思 い出す.本庁6階の安全管理課へ.緊張しながら書類を出してチェックを受け る.「はい,これで結構ですので,審査費用として大阪府の証書を13000円分, 別館で購入してきてください」そらまたロープレだ.6Fから1Fまで降りて,本 庁舎を出て,道路を渡って別館にって,別館ってどこよ?道を聞き聞き何とか たどり着き(まさしくロープレ),13000円の証書を購入.また道を渡って本庁 舎にってなめてんのか!と叫びたい衝動を抑えながら6Fへ. 「はい結構です.ではこれで代行業者と検査の日程を決めますが,検査終了後, 合格したあかつきには合格証をお渡ししますが,いつ取りにこられますか?」 「(勘弁してよ〜郵送してよ〜)後は代行業者にお任せします」

これで終わったわけではない.まだこれから審査と引取りがあるのだ.本 当に間に合うんだろうか?そんな心配をするより,本当は修論・卒論の心配を しなければならんじきなのだが.

Dec. 20, 2002

学会に参加中に,ある友人に祝電を打つことを思いつき,他の有志と昼ご はんを食べながらノートパソコンを開き,ホテルの住所を検索して,電報のペー ジから電報を打った.情報化社会の便利さを痛感する昼休み.

Dec. 3, 2002

女性専用車両について追記.この女性専用車両について新聞やテレビで 「使いやすい」というアンケート結果があったという報道が多々見られるが, これもおかしな話である.女性専用車両が導入されたことによって不利益をこ うむった人間を選んでインタビューするわけがなく,したがって,女性専用車 両がまずいという結果が出るはずがない.あくまで客観的に評価するためには 無作為抽出された乗客について,このような認知的なバイアスがないようなア ンケート結果を実施しなければ,本質を見失いはしないか?

アンケートといえば,マスコミによって報道されるアンケートには,この 例のように認知的なバイアスがかかったアンケートが多い.女性専用車両の例 で説明を試みてみよう.女性専用車両の導入についてよかったか悪かったかと いうアンケートをとったとして,「よかった」あるいは「まずい」と積極的に 思った人はもちろんアンケートに答えるだろう.しかし「いまいち」と思った 人はアンケートに答えるだろうか?ほとんど答えないだろう.したがってこの ようなアンケートの場合,回答率が極めて低いアンケートになることが予想さ れ,その結果は信頼性が極めて低いものにならざるを得ない.

同じようなアンケートとして,アメリカ国民に対する,イラ ク攻撃に賛成かどうかという電話アンケートがある.確か朝日放送で報道され ていたと記憶しているが,その結果は攻撃に賛成するのが80%というものであっ た.これも回答率が20%を切るようなばかげたアンケートであった.ちょっと いやだという人間が好んでアンケートに答えるだろうか?アンケートをとった 人間の0.2×0.8=0.16,つまり16%が賛成と答えるだけで,このアンケート結果 が得られてしまうのである.

何が言いたいのかというと,マスコミ(あるいは政府)がアンケートによっ て民意の操作をすることは比較的容易であるということである.ちょっと考え れば「どうでもよい」あるいは「比較的ネガティブ」という意見を上手に排除 するようなアンケートを作成することが可能であり,その結果をさも大々的に アンケートで得られたとして民意であると報道すれば,視聴者はいやがおうに もそのバイアスを受ける.

報道を受け取るがわとして気をつけなければならないことは,したがって, このようなバイアスがかかっていないかどうか,本当に「全体の」意見を反映 しているかどうかを冷静に判断しなければならないのではないか.

Dec. 2, 2002

今週からJR京都線で,朝夕のラッシュ時に普通電車で女性専用車両が導入 された.社会的に見れば流れなのだろうが,この導入には個人的には疑問が残っ てしょうがない.その理由は以下の二点である.

単純に考えて女性専用車両ができれば,その分ほかの車両は混む.実際, 女性専用車両の両隣の車両は通常より混んでいる.一部の女性にはよいかもし れないが,そのほかの人間に対して圧迫を強いる導入には疑問が残る.JRは連 結車両を一両増やしてそれを女性専用車両に当てるべきである.それでは採算 が合わないとの声が聞こえてきそうだが,それは女性専用車両の導入を決めた JRが解決すべき問題であり,その採算をケチった結果,女性専用車両に乗らな い(乗ることのできない)乗客に負担を強いるのはおかしいのではないか?

第二に,この女性専用車両が普通電車の,しかも比較的中央近くにあるこ とである.私は毎日朝夕のラッシュ時にJRを利用しているが,普通電車で痴漢 が出るほど混雑しているとは思えない.快速や新快速は時間によってはかなり 混雑するため,そちらへの導入のほうが効果が高いのに,なぜJRは普通電車に しか導入しないのか?付近の私鉄などで女性専用車両が導入され始めたため,JR の一部の人間が「とりあえずかっこつけに」形だけ導入したのではないかと勘 ぐることしきりである.また,専用車両が中央付近にあるため,特にラッシュ 時に駆け込んでくる客が乗り込もうとしたときに,女性専用車両であることに気 づき,右往左往している光景が非常に多い.もちろんこれはある程度時間がた てば解決する問題かもしれないが,女性専用ということで恩恵を受けているわ けだから,その車両を中央ではなく端近くに移動したほうが,定時運転確保と いう意味でも効率的ではないか?新幹線の場合であれば,禁煙車両を利用した い場合には,手間をかけても移動するではないか?

私は性差別主義者ではないつもりである.だから余計に女性専用車が逆差 別に感じてならない.JRは乗客全体の利益を平等に考えるべきであり,今回の 導入は,私から見れば「ただ導入したという事実があればアピールすることが できる」というJRの古い形式主義を感じてならない.

女性専用車両を導入するのであれば,新快速と快速電車に関して,現行の 車両構成に一両足す形で導入すべきである.

Nov. 19, 2002

最近「菊と刀」を行き帰りの電車の中で読んでいる.いまさら改めて触れるま でもなく名著と名高い本であるが,イラクとアメリカのいざこざのこの時期に 読んでみるとまたいろいろと思うところがある.

「菊と刀」の前書きによると,第二次大戦当時アメリカは日本の文化を理 解することが難しく,戦略として日本の文化を研究していた.その結果のひと つがこの本なのであるが,戦後,アメリカから怒涛のように流れ込んできた 「アメリカ・ヨーロッパ万歳」的な文化によって日本人の意識も当時とはずい ぶん変わってしまったのではないだろうか.アメリカによって理解されやすい 社会に変わってしまったということである.それでもなお「菊と刀」を読むこ とによって日本人としての文化がまだ自分の中には残っているなあと思えるこ とは,なんだか嬉しいような.

で,アメリカとイラクの話に戻るが,アメリカは中東の国々の文化的背景 を含めた考え方のようなものを理解しているのだろうか.私のような市井の人 間が心配せずともそのくらいのことはデフォルトで考えられているに決まって いる!と信じたいものだ.ひるがえって日本と朝鮮の関係,あるいはほかのア ジアの国々との関係を考えるときも,こういうデリカシーを失いたくないもの である.うん,これもFrame of Referenceですね.

Nov. 6, 2002

先月の健康診断でBMI値が22.1と,標準体重より0.1だけ多かったのをちょっと 気にして,今朝は久しぶりに歩いてみた.平年よりも寒い初冬の気温らしいが, 快晴で気持ちがよい.

歩きながら考えた.どこかで読んだような気もするが,人間はやっぱり歩行程 度のスピードでしか思考できないんじゃないか.電車に乗ったり,飛行機に乗っ たりして時間を稼いでいる気がしているが,実は歩行する程度のスピードでし か物事を整理できないんじゃないかという気がしてくる.実際,こうやって朝 歩いてくるときには歩きながらいろんな考えやアイディアが浮かんでくる.時 間があればできるだけ歩きたい今日この頃である.

Nov. 5, 2002

必要に迫られて,久々に論文リストの更新をしました.

9月末から10月はじめにかけて,CLAWAR (Paris),IROS (Lausanne, Swiss), EAI Workshop (Zürich, Swiss)と学会をはしごしてきました. 長い旅だったのでその分疲れましたが,いろいろと得るものも大きく,考えさ せられることも多くありました.その後,10/21には阪大内で行われた IA02(International Symposium for Young Researchers on Modeling and their Applications)に招待講演を行いましたが,それについては後日詳しく 述べることにします.

Sep 19, 2002

先日,学生がアエラを見て「これってどんな雑誌ですか?」と聞いてきた. 「朝日新聞だよ」と答えたら変な顔をされた.私は「これってどんな(思想的 バイアスがかかった)雑誌ですか?」という質問をされたと思ったのでそう答 えたのだが,学生は単純に「アエラって週刊誌ですか,月刊誌ですか,どんな 内容の記事が載っているのですか」という質問をしたかったらしい.

子供のころ,たぶん大学に入るか入ってからしばらく位までは「新聞に書 いてあることはすべて真実だ」と思っていた.いつのころからだろうか,新聞 によって同じことでも書く内容が異なっており,それぞれに思想的バイアスが かかっていて「真実」を拾い上げるのはなんて難しいんだろうと思い始めたの は.最近は新聞を読んでもニュースを見ても,なんとなく背景にある思想的バ イアスが透けて見える気がして,どうも気持ちが悪い.Frame of Referenceが 違う人がかくもたくさん,しかも自分が信じることを自分の信じる表現でてん で勝手に書いているのは,自己組織化という意味では正しいのだろうが,世の 中の人たちはそういうバイアスに左右されずに内容を掬い取ることができるの か,とても不安に思う.もちろん私も含めて.ましてそのようなバイアスが, 政治的や思想的に意図的である場合や,視聴率や購読率優先の「売らんかな」 商法の結果であったりすれば(ほとんどがそのようなケースだと思うが),そ ういうバイアスを取り除くことは非常に重要だと思うのだが,こういうことを ほとんどの人が意識していない気がするのは,私だけなのだろうか.もっとも 世の中には「真実」がひとつだけあってそれだけが真でほかはうそというわけ でもなく,そういう意味では人間誰一人としてこういうバイアスから逃れるこ とはできないのではある.

Aug 20, 2002

ハードディスクがクラッシュしたときに,とりあえず手持ちの20Gを入れたが,今後のことも考えて40G(流体軸受,うれしがりすぎ?)を注文した.明日くるらしいがそれまでなんとなく落ち着かない.インストールしても消える運命だし.

教養や知性っていうものは,幾重にも重なる木の皮のような構造なんじゃないかと,今朝バスに乗りながら思った. 人が何か発言したときに,それに対して,ぺらぺらの皮一枚の意見を述べるんじゃなくて,幾重にも重なる層から生み出される含蓄のある意見を述べることができる人になりたい. そうなるためにはどういう努力をすればよいのだろうか? もちろん本を読んだり知識を蓄えることは必要だが,それをぺらぺらではなく,層状に積み重ねる努力って,そんなに簡単ではないような気がする.

Aug 19, 2002

たぶん論文リストの微妙な修正をしたと思います.

「いつもより冷房の効いた車両,休日ダイヤのバス,渋滞する高速,カジュアルウエアの教授,お盆ですね」などと,すかして書いていたら,ハードディスクが飛んでしまった.こういうときに限ってバックアップをしばらくとっていなかったりするし.晩夏のけだるい雰囲気の中,あせってインストールしなおす自分がなんだか妙にかわいそうだったりする.おかげでお盆ダイアの終バスに乗り遅れて,駅まで歩いて帰る羽目に.うぇ〜.

ということですので,6月末からお盆までのデータがすっかり飛んでしまいました.急ぎの御用がある場合にはもう一度メールを送ってくださると助かります.

Aug 5, 2002

個人情報過去の研究を更新しました.

夏休みを頂いて実家に帰ってきた.大阪・京都は暑いということを痛感.「みんなでいっせいにクーラーを切る日」を提案したい.もちろん車も.車のクーラーというのが最も効率が悪そうだし.

Jul 26, 2002

とある研究会で「対象の表象がセンサに分散的に存在する」話をしたら,それはクオリアだろうと言われたが,そうなんだろうか?クオリアの勉強をしなければ.

Jun 26, 2002

「発達は創発のことと見つけたり」細田耕

Jun 25, 2002

連日「発達」というキーワードが私を悩ませている. 人間や生物の場合その定義は明らかであるが,ロボットという観点から発達を 眺めたときに,やはり「なんか面白い」だけではなくて,何か工学的に新しい 技術を導入するためのキーワードになり得るのであろうか? 「発達」に強烈に魅せられたロボット研究者も少なくはないと思うのだが,果たして底なしのあり地獄か,それともパラダイスか? 私も既に両足を絡めとられている感がないでもない.

Jun 24, 2002

今日,見ず知らずのある方から電話を頂いた. 「知の創成」についてご意見を頂いたのだが,本を出すとはこういうことかとあらためてというか,いまさらながら思った.

Jun 20, 2002

「フェルマーの最終定理」は読了した.数学という専門的な分野にもかかわらず,素人の私が呼んでもある程度問題の所在がわかったのは,もともと数学の持つ純粋さなのか,それとも筆者のうまさなのか.「谷山=志村予想」という日本人の直感による予想が定理の証明に大きくかかわっていたということが,非常に興味深かったね.

さて先週ボストンで開かれたInternational Conference on Development and Learningという会議に参加してきたのだが,もともとちょっと門外漢だったせいか,いろいろと刺激を受けて大変面白かった.もっとも面白かったのはやはり,会議の名前にもなっているdevelopmentの定義が,人によって大きく異なっていること.異なっているのに,そのテーマについての会議が開けてしまうところが興味深い.さて,私のdevelopmentの定義は何でしょうか?

ボストンへは今回が二回目の訪問になる.一度目は3月の寒い時期で,しかも丸一日だけだったので,私の中のボストンのイメージは「暗い,寒い」なのだ.今回も予想していたよりもはるかに寒く,上着が必要なほどで,しかも滞在期間中ほとんど雨.相変わらず私のボストンは「暗い,寒い」だ.

Jun 5, 2002

「後日書くことにしよう」と日記に書くということは,「この日記はほとんど更新されませんよ」ということを宣伝しているような気になるので,ちょっといやだなと思う今日この頃.

件の「フェルマーの最終定理」だが,毎日ちょっとづつ電車の中で読んで いる.数学の崇高な目標に対する姿勢の記述以外は,私にはちょっと退屈. 誰がどのような情熱を数学に注いだかということには,あまりドラマを感じな いなあ.ようやっとワイルズの話が出てきたので,面白くなってくるかも. それにしても,横文字の名前を覚えられないことといったら,いらいらする. 活字を読んでいるだけのせいなのかもしれないが,二回目に出てきたときに 「これだれだっけ」と思うことがしばしば.老人パワー爆発か?

May 31, 2002

昨日,面白いと評判の「フェルマーの最終定理」を生協で衝動買いしてし まった.まだ全編を読んではいないが,数学における証明と,他の科学におけ る証明は違うというくだりはいろいろと思索を呼び起こす.数学における証明 は,数個の公理からスタートし,証明されたことは絶対である.他の科学,例 えば物理学などにおいて顕著なのは,まず仮説を立ててそれを実証する実験や データを示すことによって証明する方法であり,このような方法をとる限り, 常に反例が存在するのではないかとびくびくしなければならない(原子,電子・ 陽子・中性子,クウォークといった素粒子の発見について,その都度説が覆さ れる例が引かれている),というのがこの本の最初一部を読んだ要点のようで ある.

これだけ読むと,まるで数学のみが崇高な科学であり,その他はそうでは ないという印象を受けるが,翻って考えると,そのように純粋な数学的理屈の みによって説明される事象というのは,この世界に存在する事象のうちほんの 一部であり,ほとんどが実際的な問題ではないのではないかと思う.そうでな ければ今ごろ数学者が大もうけをしているはずだ.全ての事象が公理から演繹 的に導かれるとも思えない.

とはいえ,我々工学者の一部,これは私も含むが,このような事実を認め た上で,できるだけこのような純粋理論に近づこうとする傾向があるように思 われる.数日前に書いた「原理主義」に陥らないようにすればするほど,その 傾向が強まるというのが,私の現在の気分なのだが,それについては長くなり そうなので,後日書くことにしよう.

May 30, 2002

〆切が目の前に迫った,やらなきゃいけない仕事と,特に〆切はないけど将来何らかの効果が期待される仕事,どっちを先にやるかというのは難しい選択だ. 「何らかの効果」を客観的に評価できればいいのだが,往々にしてその仕事をやった効果はあとでわかったりするから. ようはさぼらずにこつこつとやれということなんだろうけど,それが一番難しい.

May 16, 2002

「身体性」「内部観測」「相互作用」これらの言葉が原理主義にとどまる か,科学として成立するかを分けるのは,やっぱりこれらを使わなければ実現 できない,説明できない何かがあるかどうかにかかっていると痛感する.ヒュー マノイド?見てくれでやっているに決まってるジャン.現象を説明するのに対 象を選ばないとすれば,見てくれがいいほうがいい程度であって,ヒューマノ イドを目的とするのはお門違いだと思うな.おっと,「ヒューマノイド」といっ ちゃうと変なニュアンスが入るかもしれないから,「人間と同じ形をしたロ ボット」位の表現にとどめといた方がいいかもしれないけど.

Apr. 24, 2002

論文リストを更新しました.

計測自動制御学会が主催しているSI2002(システムインテグレーション200) という会議のオーガナイザを引き受けることになりました.セッション名は 「ビジョンベーストロボティクス(仮題)」です.ビジョンのためのビジョンで はなく,ロボットが環境との相互作用を保つためのビジョンという切り口での セッションを目指したいと思いますが,興味がある方はご連絡を下さい.

MozillaとIEでのfloatの挙動の違いで,ページの見え方がずいぶん違うことに気づき愕然.cssを変更して同じ見え方にになるようにしました.ちゃんとできてよかった.ありがとう泰岳先生.

Mar. 18, 2002

私事ですが,最近うちの子供(15ヶ月)が「これは自分のもの」と主張をす るようになってきました.考えてみると「これは自分のもの」という意識がな ければ,全てのものは自分のものではないと同時に自分のものなのであって, 自分が所有するという概念が発生した瞬間から,他人の所有物に対するうらや みや,優越感が発生するんですね.

Mar. 15, 2002

毎年のことですが,今年も卒論,修論が終わって,本当に,心底ほっとし ました.卒業できた人たち,ごくろうさま.ちょっと感傷に浸ってみたりして. それに伴って久しぶりに更新.とはいっても諸々で相変わらずばたばたしてい るので,実は現実逃避だったりするけどね.

スタイルシートを構造化エディタで書いてみた.

構造化エディタとアウトラインプロセッサの区別がよくわからないけど,これ までは,PalmのDocファイルを作ることができるという理由で kie というアウトラインプロセッサを使っていたが,コントロールのためにソース に変な文字が入るので,そのままスタイルシートに使えないのが痛かった. で,見つけてきたのが,stedという構造化エディタ. 構造化エディタ for CSS というページを見ると,なるほどと思うかも.でもインターフェースはkieの 方が数段上なので,stedはスタイルシート専用になる予定(.cssを割り当てて しまったり).

Feb. 21, 2002

共通の体験をして,それぞれ違うものを得る.それが個性だ.

Oct. 5, 2001

CSSスタイルファイルをダイエットし,背景など貼り付けてみました.

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